熊本地方裁判所 平成2年(行ウ)3号 判決 1992年3月23日
原告 福島宏
被告 田尻靖幹
主文
一 被告は熊本市に対し、金一〇二九万九二七円及びこれに対する平成二年四月一〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一、二項と同旨
2 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は普通地方公共団体である熊本市の住民である。
2 被告は、昭和六一年一二月七日、熊本市の市長に就任し、以後同市長の職にある。
3 熊本市においては、一部の課(市民課・保険課・年金課・市民税課等)において、休憩時刻の割り振りにより午後零時から午後一時までの時間も継続的に窓口業務を行えるようにしているが、被告は熊本市長として、熊本市一般職員(管理職手当支給対象者を除く。)のうち、右時間帯に業務に従事した者に対し、平成元年四月一〇日より平成二年四月九日までの間、熊本市の会計より「昼窓手当」(以下、本件手当という。)として合計金一〇二九万九二七円(対象人員延べ一万二二一人)を支出した(以下、本件支出という。)。
4 本件支出の根拠となる法律・条例は存在せず、本件支出は違法である。
5 被告は、故意または過失によって、本件支出なしたことにより、熊本市に対し、右支出額と同額の損害を与えた。よって、原告は熊本市に代位し、被告に対し、不法行為に基づく損害金一〇二九万九二七円及びこれに対する最終支出行為の翌日である平成二年四月一〇日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の各事実は認める。
2 請求原因4及び5は争う。
三 被告の主張
1 本件支出は、熊本市職員特殊勤務手当支給条例(以下、本件条例という。)六条に基づく特別手当として、支給されたもので、適法である。
(一) 被告の裁量権
特殊勤務手当の支給要件について、地方公務員法二五条三項四号は一般職の職員の給与等に関する法律一三条一項より緩和された規定をおき(すなわち「著しい」という用語が削除されている。)、何が特殊な勤務にあたるかについて、地方公共団体に国よりも広く認定しうる余地を付与しているところ、右支給要件等は、熊本市一般職の職員の給与に関する条例にも定められておらず、右条例の委任を受けて制定された本件条例二条によりその具体的内容が定められている。そして、本件条例六条には特別の考慮を必要とするものに対しては、市長は、特殊勤務手当を支給しうる旨規定され、市長に「特殊な勤務」の認定についての広い裁量権を付与している。
本件手当は、昼休み窓口開設という行政サービスに対する市民からの強い要求と、この要求に応じようとする市当局に対する職員組合の反発そして昼休み窓口開設の代償措置としての手当の要求があり、これを打開する方策として熊本市議会における議論等も経て生まれてきたものであって、被告にとって昼休み窓口業務の公益性、公共性を考えるとき、昼休み窓口業務の中止に直結する本件手当の支給廃止はこれまでできなかったのであるから、本件支出が市長としての右裁量権の逸脱、濫用に当たらないことは明白である。
(二) 昼休み窓口業務の特殊勤務該当性
(1) 熊本市においては、全職員が制服着用を義務付けられ、一見すれば職員であることは誰の目にも明らかなのであって、昼休み時間が午後零時から午後一時を指すということが当然のこととして受け入れられている社会状況の中で、公僕たる地方公務員である職員が午後一時から午後二時までの間に休息時間ないし休憩時間をとり、職場で食事をとり、雑談し、あるいは職場を離れ、私用で外出したり、軽スポーツを楽しんだりすることは、一般市民の視線を考えるとき、真面目な職員であればあるほど、著しい心労、精神的苦痛を感じる。
(2) 昼休み窓口業務は一斉労働、一斉休暇の原則からはずれる勤務である上、その他の時間帯と全体の業務量は変わらないにもかかわらず、少人数で通常と全く同じ業務を遂行しなければならないため、職員の負担は非常に大きい。
(3) 少人数の職場、特に各市民センターにおける昼休み窓口業務においては、右業務従事者が少人数であるゆえに実質的には休憩時間をとることができず、短時間で食事を済ませ直ちに業務に復帰している現状にあり、右業務従事者の心身の負担は予想以上に大きなものがある。
(4) したがって、昼休み窓口業務には特殊性が存するというべきであり、給与上特別の考慮を必要とし、更に、特殊性を俸給で考慮することが不適当な場合にあたるというべきである。
2 仮に本件支出が違法であったとしても、直ちに被告の支出命令によって、熊本市が現実の損害を受けたということはできない。
すなわち、違法不当な利得を受けた職員の責任と違法な支出命令を発した者の責任との間には、先後関係があり、まず第一次的に過払いを受けた職員との関係で清算措置が講ぜられるべきであり、これを行ってもなお自治体に現実の損害が発生した場合に限って、第二次的に支出命令権者の責任が問われるべき関係にあると解するのが相当である。
3 仮に本件支出が違法であったとしても、被告は、既に前市長在任中の昭和五四年から条例に基づいて支出されていきた手当を、度重なる職員組合との交渉や市議会における質疑応答等の歴史的経緯を踏まえた上で支出を継続してきたに過ぎず、もし本件手当を被告の独断で打ち切った場合には職場における相当な混乱ひいては行政事務の遅滞及び市民サービスの低下が容易に予想されたのであるから、被告が本件支出を適法として容認してきたというその一事をもって直ちに過失があるということはできない。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 本件支出の違法性
(一) 本件条例六条は、市長に対し一定の要件のもとで、手当の支給を白紙委任する内容になっており、地方自治法二〇四条の二等に反し、無効である。
仮に、本件条例六条が有効としても、実質的に給与条例主義の潜脱とならないように適用の場面を極めて厳格に解釈しなければならないところ、本件条例六条によれば、熊本市長は、「臨時に」かつ「そのつど」額を定めて手当を支給できるだけであるが、本件手当支給は昭和五七年九月六日に開始し、制度化され、以後現在に至るまで継続的に支給され続けられているものであって、本件条例六条の「臨時に」という概念と大きく相違している。
(二) 昼休み窓口業務は、その業務内容自体は通常の時間に行っていることと変わりがなく、職員の当日全体としての就労時間も変わらず、民間の銀行、証券会社等が昼休み時間中も業務を行っているのに、特別手当を支出しているところはない等の実情からして、特殊勤務該当性を認めることはできない。
2 損害発生の有無と責任の先後関係
不法行為に関連して、損害賠償請求権の他に、不当利得返還請求権も発生する場合、請求権者はこの両者を任意に選択して行使できるというべきである。
3 被告の故意・過失
被告が熊本市長として支出権を有し、その指示・同意に基づき本件支出がなされたのであるから、被告には故意があったというべきである。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因事実1ないし3の各事実については当事者間に争いがない。
二 本件支出の違法性について
1 普通地方公共団体の職員に対する特殊勤務手当の支給については、条例で定めることができるが(地方自治法二〇四条二項、地方公務員法二五条三項四号)、一方、普通地方公共団体は、特殊勤務手当を含む一切の給付について法律又はこれに基づく条例に基づかなければ、これを支給することは許されない(地方自治法二〇四条の二、地方公務員法二五条一項)。
2 乙第二号証(本件条例)によれば、熊本市においては、本件条例が制定されており、本件条例二条別表中で特殊勤務手当の具体的内容が明定されているが、本件手当については、右別表には記載されていないことが認められる。
3 被告は、本件支出は、本件条例六条に基づくもので適法である旨主張するので、本件昼窓業務が著しく特殊な勤務に当たるかどうかはしばらくおき、まず、この点について判断する。
(一) 乙第二号証によれば、本件条例六条において、「この条例に定めるもの以外の勤務で特別の考慮を必要とするものに対しては、市長は、臨時に手当を支給することができる。2 前項の手当の額は、そのつど市長が別に定める。」と規定されている。
(二) ところで、地方自治法等が特殊勤務手当の支給は条例に基づかなければならないとした趣旨は、普通地方公共団体の職員に対する手当は、当該普通地方公共団体の住民から納められた租税等によって賄われることから、その支給にあたっては、住民により直接選挙された議員により構成される議会で審議されるべきであるということにあると解される。
したがって、条例で市長に対して無限定あるいは包括的な権能を委任するような、いわゆる白紙委任をすることは、前示地方自治法等で規定する給与条例主義に反するものであって、許されないといわなければならない。
(三) そこで、本件条例六条の規定について検討すると、「臨時に」という限定文言はあるものの、勤務の内容は不明確で基本的事項は市長に委任していることから、給与条例主義に抵触する疑いがあり、その「臨時に」という文言及び裁量の範囲を厳格に考えるべき必要がある。
ところで、本件においては、後記四に認定する経緯で本件条例六条を適用して本件手当を支給することになり、平成元年四月一〇日から平成二年四月九日までの一年間だけでも、延べ人員一万二二一人に対し合計一〇二九万九二七円という膨大な経費を長期に亘って支出している(このことは争いがない。)。
このような大規模で継続的な手当の支給は本来本件条例六条の予定するところではないというべきであり、少なくとも本件手当の支出は運用上給与条例主義に違反するというほかなく、本件支出は違法であるというべきである。
三 損害の有無について
1 熊本市が違法な本件支出により損害を受けたか否かについて判断するに、被告が熊本市長として本件支出をする法令上の権能がないということは、熊本市には本件支出をする義務もないということであるから、熊本市は、被告が違法に支出した金一〇二九万九二七円の損害を受けたということができる。
2 被告は、違法不当な利得を受けた職員の責任と違法な支出命令を発した者の責任との間には、先後関係があり、まず第一次的に過払いを受けた職員との関係で清算措置が講ぜられるべきであって、これを行ってもなお自治体に現実の損害が発生した場合に限って、第二次的に支出命令権者の責任が問われるべき関係にあると解するのが相当であり、熊本市には右にいう現実の損害が発生していない旨主張する。
(一) 熊本市が、本件手当の支給を受けた職員に対して、その支給を受けた手当額の返還請求権を有することは確かであるが、右不当利得返還請求権と本件損害賠償請求権とはいわゆる請求権競合の関係に立つところ、地方自治法には、とくに不当利得返還請求権を優先的に取り扱う明文の規定もないから、右両者間において優先順位を付する理由はない。
更に、実質的に考えてみても、本件手当を受けた多数にのぼる職員に対する不当利得返還請求代位訴訟を経た上でなければ、原告の被告に対する請求は認められないとすれば、一住民であるに過ぎない原告に極めて困難な訴訟追行を強いることになるばかりでなく、そもそも、右不当利得返還請求訴訟にあっては、多数の被告らが悪意であるか善意であるかによって請求できる範囲が異なり、右判決の確定をまって初めて市長に対する損害賠償請求権の代位行使が許されると解するときは、住民訴訟の期間制限にも触れることになり、地方自治法が住民訴訟を認めた意義を損なう結果となってしまう。
以上のことに鑑みると、本件においては、原告は右不当利得返還請求権と本件損害賠償請求権のいずれを選択することも可能と解すべきである。
(二) したがって、現実に金員の返還がなされない以上は、本件支出によって熊本市が受けた損害が補充されるということにはならず、本件においては、熊本市に現実の損害が発生しているというべきである。
四 被告の故意過失について
1 証人野田雅水の証言によれば、かなり以前から昼休み窓口開設が熊本市議会で議論されていたが、昭和五六年に熊本市庁舎が新築竣工したことを契機として、本格的な昼休み窓口開設の問題が熊本市議会、新聞等で取り上げられ、熊本市は、これを受けて労使交渉・組合交渉を行い、本件手当を支給することで昼休み窓口開設を実現したこと、本件手当の支給が開始された当時の熊本市長は星子敏雄で、被告は助役であったこと、本件手当の支給を開始した当時、これを直接定めた条例がなかったことから、本件条例二条の別表を改正し、本件手当の支給を明定する方法によることも検討され、これが一番正統的な手法であることも事務当局としては認識していたが、この方法によれば審議に時間を要するため、市庁舎落成に合わせて昼休み窓口開設を実現することが困難になることが予想されたこと、そこで、熊本市としては、一刻も早く本件手当を実施したい、そのため時間をかけて条例改正を審議する暇がないと考えて本件条例六条という一般的条項を適用して支給するに至ったこと、当初は、本件条例六条の適用につき、当面の事態の推移を見極めながらの流動的なものと考えていたことが認められる。
これらの事実によれば、本件手当の支給は本来条例改正の方法によって市議会の審議を経由すべきところ、窓口開設を急ぐ余り、法令等の検討も不十分なまま本件条例六条を適用したものであることが明らかであり、被告も助役としてこれに関与していたことが推認できる。
2 被告は、熊本市長としての職務執行にあたり、公金の支出が法令に違反しないよう注意すべきであるところ、本件手当の支給について、条例改正の措置をとることもなく、漫然と違法な本件支出をなしたものであって、右1で認定した事実に照らすと、被告には少なくとも違法な本件支出をしたことについて過失があったというべきである。
右認定に反する被告の主張は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
五 そうすると、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用し、仮執行宣言の申立については、相当でないから、これを却下し、主文のとおり判決する。
(裁判官 足立昭二 大原英雄 横溝邦彦)